6月11日に『しくじり先生』に登場した荻原次晴さん(右)。双子の兄、荻原健司(左)さんとの葛藤を教えてくれました。ともに元スキー選手です。
1995年、チェコスロバキアのリベレツとノルウェーのオスロでは、兄の荻原健司さんが優勝、弟次晴さんが準優勝しました。そんな荻原健司さんと次晴さんあの現在が気になったので、調べてみました。
荻原健司・次晴のプロフィール
荻原健司さん・次晴さん兄弟は1969(昭和44)年生まれの47歳です。草津温泉で有名な群馬県草津町の出身です。幼少期は双子とも体操教室で器械体操を習っていました。
先にスキージャンプを始めたのは、弟の荻原次晴さんです。小学校5年生の時のことでした。1年後には、兄の健司さんもスキージャンプを始めます。
学歴
- 草津中学校時代
- 群馬県立長野原高等学校
- 早稲田大学人間科学部スポーツ科学科
卒業後、北野建設に入社します。現在でも、有名な実業団のスキー部があります。
兄の荻原健司さんは、中学時代に複合に転向します。そして、1985年に全日本ジュニアに選抜されます。1988年には世界ジュニア選手権に出場し、39位になります。
翌年には同じ大会で16位になり、高校生でありながら日本代表Bチームに昇格します。大学生になると「学生のオリンピック」といわれるユニバーシアードで2連覇を果たします。
オリンピック団体で2度の金メダル、ノルディックスキー世界選手権で団体と個人で2回の金メダルをしています。またノルディック複合のワールドカップでも、個人総合で3度の優勝経験があります。
2002年のソルトレイクシティオリンピックを最後に、第一線を退きます。その後は2004年から参議院議員になったこともご存知の方が多いのではないでしょうか?
現在は北野建設スキー部の部長であったり、上田女子短期大学の客員教授であったりなど、指導者としての道をあゆまれています。
一方の次晴さんは中学時代に全日本中学選手権、高校時代にはインターハイには出場します。大学時代には全日本指定選手にはなりますが、練習熱心ではなかったため成績は伸び悩みます。
1994年には全日本選手権で3位に入賞します。ワールドカップやオリンピックにも出場しますが、個人戦では優勝経験がありません。1998年に長野オリンピックに出場した年に現役を引退しました。引退後はタレントに転進します。
スポーツコメンテーターとしての活躍は、あなたもテレビで見ることがあることがあると思います。
荻原健司と次晴の仲、現在はどう?
現在も昔も、荻原健司さんと荻原次晴さんの仲はずっと良いみたいですね。
ただ、仕事ではライバル心を隠さず、厳しい姿勢をとっているようです。当たり前ですね。それぞれに家庭がありますから。
また、荻原次晴さんの中には「健司とだけは比較されたくない」という思いが大きかったようです。たしかに同じ競技をされている双子で、自分より後に始めたのに、実力は上という立場になったなら、そう考えても仕方がないと思います。
でも、それを健司さんにはあたっていません。
仲の良さについて、いくつかエピソードをあげて見ます。
健司さんが引退後の進路について相談しました。
「兄はキャスターとして向いていない。他の道を選ぶべき」
と、次晴さんが言ったそうです。
実際、その通りになっています。
荻原健司さんは、バツイチです。健司さんが前の奥様と仲が悪くて家に帰りたくないとき、次晴さんの家に泊まっていたそうです。どちらかというと荻原健司さんからの歩み寄りですが、それを次晴さんは受け止めているのです。
荻原健司の兄弟・次晴の家族や家族は?号泣?
まず実家は金物屋さんだそうです。昔ながらの、町の金物屋さんという感じですね。地図を見ましたが、草津の中心街で、結構大きいです。
ご両親のほかに、お姉さまが3人いらっしゃいます。
5人兄弟、7人家族だったのですね。大家族です。
また次晴さんは2008年に結婚されています。お相手は14歳年下の、女優・蒼井優さん似の一般人だそうです。現在、33歳くらいですね。
こんな感じの女性でしょうか?お名前は「千春」さんだそうです。
また、お子様も3人います。
この写真は長女の「はるか」ちゃん、だそうです。良いお父さんしていますね。
あと二人、次女と長男だそうです。
よく、次晴さんの検索をすると「号泣」という言葉がでてきます。これは、2014年に生放送で号泣したことが原因です。
この年は、ロシアのソチで冬季オリンピックがありました。ノルディック複合ノーマルヒルで、渡部暁斗選手が銀メダルを手にしました。
20年ぶりの快挙です。
また兄の健司さんは、渡部選手が所属する北野建設のスキー部部長です。つまり渡部選手は、健司さんの教え子なのです。テレビ東京で現地キャスターをしていた次晴さんは、健司さんの苦労も知っていたはずです。
ふたつのことが合い重なって、感極まってしまったのだと思います。
荻原健司・次晴と見栄晴やラジオは?
さて「見栄晴」さんも、キーワードでよく並べられます。まったく関係ないように見えます。
ところが、名前にキーワードが隠れていました。
先の「号泣」の件に関係します。この時、隣にいた女性アナウンサーが次晴さんを「見栄晴さん」と呼んでしまったのです。
たしかに、「晴」はいっしょです。放映をご覧になっていた方の、水を指すような発言が残ってしまったのですね。
次晴さんは現在、ブラジルのリオデジャネイロ・オリンピックではラジオ101局統合番組の番組キャスターになりました。その番組に合わせ、リポートやハイライトも行っています。ラジオのリオデジャネイロ・オリンピック関係は、次晴さん一人で話したと言っても、過言ではないかもしれません。
健司さんについては、ラジオの経験はないようです。
荻原次晴さんはテレビなど、表面でウィンタースポーツを普及しています。ブログでは、百名山を登ろうと登山を楽しむ姿が見られます。
荻原健司さんは裏方として、指導者として多忙であろうと思います。
二人とも、まだまだ活躍しています。