ビシエド帰国理由2017を解明!2017年6月16日に、アメリカに一時帰国していたビシエド選手がリーグ開始の2017年6月23までに再来日の目途が立たず選手登録を抹消されてしました。ビシエド選手の帰国理由と再来日出来ない理由はいったいなんなのでしょうか。
ビシエド帰国!2017年もともとの理由は?
2017年6月16日に、アメリカに一時帰国した中日ドラゴンズのビシエド選手。
一時帰国の理由は、アメリカで市民権取得のためだったそうです。ネット上では、母国に帰りたかったのでは?等の憶測も広がっています。
2017年6月16日に、ビシエド選手が一時帰国後、中日ドラゴンズの西山代表は、
「市民権取得の手続きは、二、三日で完了するだろう。巨人戦までには、間に合う。」と言っていましたが、ビシエド選手の再来日の見通しは、予定していた23日を過ぎた今現在も立っていません。
ビシエド選手の経歴を振りかえってみると、
2008年に、母国キューバからいかだに乗って亡命。アメリカ合衆国のフロリダ半島に上陸。
その後、ドミニカ共和国で居住権を取得しました。同年に、シカゴ・ホワイトソックスに入団。
ここまでの経歴を見ると、ビシエド選手は、
私たちの想像が及ばないほど大変な人生を歩んでいます。今回、ビシエド選手がアメリカの市民権の取得に難航しているのは、アメリカがトランプ政権になり、キューバ政策が持ち上がったことが原因ではないかとの見解を示している人もいます。
ビシエド帰国!2017年本当は何?
中日ドラゴンズのビシエド選手がアメリカに一時帰国し、2017年6月23日のリーグ開幕まで日本に戻ってくる予定でしたが、
再来日の見通しが立たなくなってしまい、中日ドラゴンズから契約を抹消されてしまいました。
ビシエド選手が日本に戻って来られなくなってしまった理由はなんなのでしょうか。ある報道では、アメリカがトランプ政権に変わり、打ち出されたキューバ政策により、ビシエド選手が望んでいたアメリカでの市民権取得が困難になっているのではないかと予想されています。
一方、ツイッターでは、母国に帰りたかったのではと予想している人もいて、真相はまだわからない状況です。ビシエド選手は2008年に、母国のキューバからいかだで亡命し、アメリカでメジャー契約を結んでいます。
その亡命した関係でアメリカで市民権取得の
手続きが必要になったので、一時帰国したというのが一番、信ぴょう性の高い理由とされています。
ビシエド帰国…プロフィールと戦績
2017年、6月16日に、アメリカに市民権取得の為、アメリカに一時帰国していた中日ドラゴンズのビシエド選手。
日本でのリーグが始まる2017年、6月23日までに、再来日する予定でしたが、市民権取得の手続きが難航している?!
との理由で、再来日の見通しが立たなくなってしました。ビシエド選手は、キューバ出身の28歳です。
ビシエド選手が中学生のとき、同世代のリーグで母国キューバのリーグで、打率.405・5本塁打・18打点・14盗塁という、
圧倒的な好成績を残し、勢いそのままに、15歳で国内リーグ、セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルで、プロデビューを果たしました。
2008年に、キューバからいかだで亡命。フロリダ半島に上陸後、ドミニカ共和国で居住権を得ます。
同年に、シカゴ・ホワイトソックスに契約金、4年で1000万ドルで入団。2010年には、ワシントン・ナショナルズ戦で
メジャーデビューを果たします。2012年には、ホワイトソックスの147試合に出場し、打率.255・25本塁打・78打点・OPS.744を記録しました。
ビシエド帰国理由2017を解明!まとめ
キューバ出身のビシエド選手。15歳からキューバのリーグで活躍し、圧倒的な戦績を携え、2008年に、シカゴ・ホワイトソックスに入団。
2015年に、中日ドラゴンズに入団しました。2017年6月16日に、アメリカに一時帰国。日本のリーグ戦が始まる2017年6月23日までに再来日の予定でしたが、突然、再来日の見通しが立たなくなってしまいました。
その理由として挙げられているのが、アメリカでの市民権取得の手続きが難航しているということでした。
ビシエド選手は、2008年に、母国であるキューバからアメリカに亡命しています。その関係でアメリカでの市民権取得手続きをしに帰国したとされていますが、アメリカがトランプ政権に変わり、打ち出されたキューバ政策によって、市民権取得が難しくなったのではないかと予想している人もいます。
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また、本当は、母国に帰りたかったのではないかとの憶測を示している人もいて、はっきりとした理由は、ビシエド選手本人しかわかりません。ビシエド選手がいなくなってしまった中日は、今後、どうなってしまうのでしょうか。